まさまささん
先日亡くなった友人の事
もう少し
お話させてね
(-_-)
彼女は
トリネガステージ2a
と診断をされ
全摘をしたが再発となり
その時に
別の大学病院を紹介され
そこで治療を受ける事になった
私と知り合ったのはこの頃
(-ω-)/
紹介された大学病院では
治験で免疫チェック阻害薬を
試してみる事になり
病理検査を海外へ送り
適応かどうか
結果待ちをする事になった
( ̄д ̄)
主治医は
「時間がかかるので不安だと思うけれど、自分に合った治療を選ぶ事が大事だから」
そのように言っていたそうだ
そして
治験の結果が出る頃に
いつでも治療が開始できるよう
入院をして待機していた
(-“”-)
ところが
(゚Д゚;)
なんと!
トリネガではなく
HER2という診断
(;’∀’)
私も取った腫瘍の一部に
HER2+の反応が出て
その後詳しく調べたら
トリネガだったという事があった
たまたま採取したところが
グレーゾーンだったらしい
(”_”)
HER2とは
がん細胞の増殖に関係する
HER2タンパクが
乳がん細胞の表面に
たくさん存在しているタイプの事
(‘ω’)ノ
トリネガもHER2も
抗がん剤治療をするが
HER2の場合は
HER2タンパクを標的とする
抗HER2療法が行われる
(‘_’)
彼女はHER2としての
治療が始まり
3クール目が終わった頃
(‘Д’)
治療がうまくいっていないとの事
そして
HER2の治験のための検査もしたが
その検査結果は
驚くものだった
(;゚Д゚)
どんなに怖かったか
どんなに心細かった事か・・・
何と声をかけていいか
わからなかったけれど
すぐに直接声が聞きたかった
( ;∀;)
その後も一緒に
オンラインのカフェに出席したり
LINEでやりとりしたり
直接電話で話をしたり
彼女にとって
『解決できなくても解消できる』
事を一緒に探してみた
私と繋がったという事は
それが
私の役目だと思ったから
( `ー´)ノ
その後の彼女の治療は
パクリタキセルとアバスチンを
4クールしたが
効果はあまりなく
年内の最後の治療だった
と言っていた日
( 一一)
CTの結果もあまりよくなく
主治医からの話を聞いて
かなり落ち込んでいた
私はいつものように
彼女の話を聞き
その中でも
プラスに思える事を
一緒に見つけてみた
私も泣きながら
話をしていたんだけど
翌朝届いたLINEには
(´-ω-`)
気持ちを立て直して
年が明けてから始まる
ガンマナイフの治療に
前向きな気持ちになってくれて
ちょっとホッとした
(^ω^)
でも年が明けてから
体調は更に悪くなっていった
(。-_-。)
彼女はね
いつも家族の事を気にかけていた
自分のせいで心配ばかりかけてと
病気になった自分を
責めているような気がした
だから
樋野先生の言葉を贈った
(・ω・)ノ
彼女が亡くなった3月2日は
何だか心がざわざわしていた
翌日のあびこカフェの事で
ざわざわしているのだと思っていた
夕方の仕事の合間に
ふと
彼女の事が気になった
( ゚Д゚)
訃報の連絡を受け
彼女のご主人に
彼女が逝った時間を
聞いてみた
夕方5時過ぎだったそうだ
あの胸騒ぎは
彼女だったのかもしれない
(T_T)
まさまささんに
巡り合えた事に感謝!
お疲れさまでした
どうぞ安らかに ♰
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